信濃毎日新聞ニュース特集

トリノ冬季パラリンピック

「ありがとう」涙の金 小林深選手、大けが乗り越え
2006年3月12日掲載
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 【プラジェラート(イタリア)11日=井上典子】ゴール後、ライバルのフランス選手が日の丸の旗を持って駆け寄った。11日に開かれたトリノ冬季パラリンピックのノルディックスキー・バイアスロン女子12・5キロ視覚障害。優勝した小林深雪選手(32)=日立システム・北安曇郡小谷村出身=は、ガイドを務めた小林卓司コーチの胸に顔をうずめ、周囲の祝福に泣きながら「ありがとう」を繰り返した。
 小林選手にとって、トリノまでの道のりは険しかった。昨年8月末、都内のエスカレーターで転倒。右足の甲を12針縫った。傷は筋肉に達し、くるぶしの下の骨が欠ける大けがだった。
 それまではすべてが順調だった。2004年末から日立システムスキー部に所属し、練習優先の生活ができるようになった。滑走、射撃とも、専門家の指導を受け、自信を深めていた。
 前回02年の米ソルトレークシティー大会は、けがと体調不良で棄権するレースもあるなど不本意な結果。トリノにかける思いは強かっただけに、けがのショックは大きかった。「パラリンピックに出るのはだめかもしれない」。直後、小谷村へ母の朝子さん(61)に電話をかけた。
 だが、この時の朝子さんの返した言葉が小林選手を救った。「おまえはこんなことでもないと力を出さない子だからね」。順調なままなら、もっと大会が近づいてから落とし穴があるかもしれない―という思いだったという。
 「焦っても仕方がない」と自分に言い聞かせた小林選手はオーストリアなどへの合宿を断念。上半身強化や心拍数を上げた状態での射撃練習に重点を置いた。再びスキー板を履いたのは、昨年11月の全日本チーム・フィンランド合宿からだ。
 けがをした足の痛みはまだ消えていない。にもかかわらず、本番の射撃20発中、外したのは1発だけ。出場選手中、最もミスが少なく、金メダルをつかみ取る大きな要因になった。けがをした間の練習が無駄ではなかったことを示して見せた。
 「電話の母親の言葉で、前を向くことができた」と小林選手。レース後、「(両親へは)いい色のメダルが取れたよ―と電話する」と言って、再び声を詰まらせた。
<長野のときより何倍もうれしい 小谷の両親喜び>
 「長野大会のときより何倍もうれしい」。小林深雪選手の北安曇郡小谷村の実家で11日、家族と結果を待っていた母の朝子さんは、金メダル獲得の知らせに「うれしい」を繰り返した。
 1998年の長野大会は金、2002年の米ソルトレークシティー大会は6位。前回大会の悔しさや足のけがを乗り越え、トリノに向けて頑張る娘の姿を見て、朝子さんは「何色でもいいので、メダルを取らせてあげたかった」と喜んだ。
 父の惇さん(65)はトリノに出発する娘に「感謝の気持ちを忘れずに、やるだけやってこい」と、長野大会前と同じ言葉をかけた。「長野大会の金は、親の目から見ても運が良かった」と惇さん。東京で一人暮らしをして仕事を続けながらつかんだ今回の金メダルに「本当にほめてあげたい」と声を弾ませた。
【写真説明】金メダルを獲得、手を振って観客に応える小林深雪選手(右は小林卓司ガイド)=11日、プラジェラート距離競技場(井上典子撮影)


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