信濃毎日新聞ニュース特集

トリノ冬季パラリンピック

仲間へ可能性伝えたい 竹内選手 先輩の一言で継続
2006年3月10日掲載
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 【9日トリノ=井上典子】第9回冬季パラリンピック・トリノ大会は10日午後6時(日本時間11日午前2時)から開会式を行い、開幕する。冬季大会史上最多の39カ国から486選手が参加予定。日本選手団は40人で、うち県勢は岡谷市を練習拠点とするアイススレッジホッケーの長野サンダーバーズ所属の8人ら18人が参加する。
 大会は19日まで、アルペンスキー、ノルディックスキー(距離、バイアスロン)、アイススレッジホッケー、車いすカーリングの4競技58種目を実施。開会式は2月の冬季五輪と同じトリノ市内のコムナーレ競技場で行い、各競技も五輪会場を使う。
 日本選手団は、米国の56選手に次ぐ規模で車いすカーリングを除く3競技に出場。3競技ともメダル獲得を目指し、銅メダル3個だった前回の米ソルトレークシティー大会の雪辱を期す。
 田村宣朝選手団長は「選手は順調に仕上がってきており、各チームの雰囲気もいい。風邪などで体調を崩さないように、細心の注意を払っている」と話している。
 「竹内にできるのなら、自分にもできそうだと思ってほしい」。トリノ冬季パラリンピックのアイススレッジホッケー代表竹内俊文選手(29)=長野サンダーバーズ・駒ケ根市=は、自分と同じように重い障害のある人へ伝えたい思いを胸に大会に臨む。
 8日夕、トリノの練習リンクで、竹内選手は両腕を大きく動かして滑っていた。生まれつき脊椎(せきつい)に障害があり、腹筋、背筋の力が「ほぼゼロ」のため、腕の力だけで滑走する。
 実家が営む電気設備工事会社で設計の仕事をしている竹内選手は、スポーツが盛んな花田養護学校(諏訪郡下諏訪町)に入学し、赤穂高校(駒ケ根市)在学中には、バスケットのクラブチームの練習に参加した。1994年、長野パラリンピックの選手発掘を目的に行われた講習会で、ホッケーを始めた。
 パラリンピック出場は長野、米ソルトレークシティーに続いて3回目。前回大会後、チーム戦術がスピード重視に変わり、腕の力に頼る自分の滑走ではついていけなくなりそうだった。花田養護時代の同級生で目標でもあった代表仲間の選手が、バスケットに専念するためホッケーをやめた。
 挫折しそうな気持ちを、「自分が変わるしかない」と立て直した。自分にはできないのではなく、スピードを上げる練習をするしかない。それでも足りないのを補うために、常に先を読んで動く―。あきらめなかったことがトリノにつながったと振り返る。
 竹内選手には忘れられない言葉がある。同じアイススレッジホッケー代表、加藤正選手(37)=長野サンダーバーズ・松本市=の「自分がしてもらったことを、おまえに返すんだ」という一言だ。
 伊那市に住みバスケットをしていた加藤選手は、高校生だった竹内選手を自分の車で練習や試合に連れ出してくれた。加藤選手がいなければ、スポーツを続けられたかどうか、ホッケーを始めたかどうか分からない。
 加藤選手は同じ言葉を、ほかの先輩選手から聞いていた。「引っ込み思案」の自分が、今度は別の人に返していく番だ―。竹内選手はまずパラリンピックを通じ、障害者へ「みんなもできる」というメッセージを伝えることを、その一歩にするつもりだ。
【写真説明】練習リンクに向かう竹内俊文選手(中)。「自分の可能性」を伝えたいと大会に臨む=8日、トリノ・エスポジツィオニ


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