信濃毎日新聞ニュース特集

トリノ冬季パラリンピック

トリノ冬季パラ 競技性重視の大会―「狭き門」メダル争い
2006年1月 1日掲載

 パラリンピックは五輪と同じ年に開催されている。冬季大会の始まりは1976年スウェーデン・エーンシェルドスピーク大会。冬季五輪開催地で開かれるようになったのは、94年の第6回ノルウェー・リレハンメル大会からだ。個人参加を除き、日本選手団は80年の第2回ノルウェー・ヤイロ大会から参加している。
 98年長野大会はアジア初開催で、県内4市町村を会場とし、32カ国の571選手が参加した。アイススレッジスピードレースは、競技人口が少ないことなどから、2002年米ソルトレークシティー大会から実施されていない。トリノでは新たに車いすカーリングが加わる。
 トリノ大会は、競技性をより重視し「メダルの価値」を高めているのが特徴だ。従来、個人競技・種目では障害の部位や程度を細かく分けたクラスごとに競い合っていたが、今回は立位、座位、視覚障害といった大きな区分で実施する。その分、種目数が減り、メダルを獲得するのは“狭き門”となる。
 夏季大会は60年にイタリア・ローマ大会でスタート。64年の第2回東京大会で「パラリンピック」という名前が愛称として、初めて使われた。当時は、両下肢まひを表す「パラプレジア」と「オリンピック」の造語だった。
 パラリンピックが正式名称になったのは、88年の第8回韓国・ソウル大会から。「パラ」を「並行」と解釈し、パラリンピックを「もう一つのオリンピック」と位置付けた。


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