信濃毎日新聞ニュース特集「2006長野県知事選」
現職から離れた「民意」 対立構図を解消できず
2006年8月 7日掲載

 独特の切り口で、県民と県政の関係や民主主義のあり方をとらえ直し、提言してきた現職の田中康夫氏(50)が、知事の座を去る。話題性のある政策や言動、対立構図の演出で、県民の関心を県政に引きつけた。だが、6年間を経て次の段階として県民が求めたものは、対立を超えて1つ1つの課題を前に進める誠実な「実行力」だった。田中氏が後ろ盾としてきた県民の「民意」が、同氏に交代を促した。

 「6年間、社会福祉を切り捨て、地方を切り捨てる日本の政治とは対極に(長野県が)位置してきた」。6日、落選が決まり、松本市内の会場に現れた田中氏。自身の県政運営への自負を示す一方、選挙戦前半、災害支援の公務を優先したことに触れるなど、悔しさもにじませた。

 選挙期間中は、「皆さんと試行錯誤してきたことを続けなければ、この県は昔のような自由にものも言えない県に戻ってしまう」と強調。田中県政の継続を求めた。

 物事を象徴化、単純化し、選択を迫る「二項対立」は、当初田中氏が否定したものだった。2000年12月県会での初の所信表明演説。「賛成・反対、官対民など旧来型の二項対立を超えた、第三、第四の選択肢も世の中にはある」。自らの理念をこう説明、「懸案事項を職員や県民と解いていく」と語った。

 しかし、この6年近く、田中氏にはむしろ、課題のあり方を「二項対立」的にする発言や行動が目立った。「手続き民主主義から成果(結果)民主主義へ」「集団から個人へ」「問題調整型から問題解決型へ」…。1つ1つの県政課題について、異論を差し挟む側は、田中氏から「守旧派」とレッテルをはられることになった。結果として、周辺から急速に人が離れ、市町村長らとの対立も解消できない原因となった。

 自らつくり出した対立構図に足を絡めとられながら、田中氏は「脱ダム」をはじめとする数々の「宣言」、新党日本代表就任、下伊那郡泰阜村への住民票移転など、県民の関心を引き続けた。「劇場型」の手法だ。

 だが、住民票移転は最高裁まで争って否定され、脱ダム後の治水政策についても見通しは不透明だ。「県議会の姿勢は支持できない。ただ、知事がこのままでは県政が進まないのも事実だ」。知事に理解を示していた多くの支持者から、そんな声が聞かれるようになっていた。

 また、県組織が活性化していない―との指摘もある。就任当初、「知事でなく、田中さんと呼んでほしい」と言い、職員から県政改革の提案を求めた田中氏に、庁内の期待は大きかった。だが実際には、頻繁な人事異動などに対し、職員側の反発も強まり、知事との理念の共有は進みにくくなった。

 告示直前の豪雨災害で、県が延べ4400人の職員を被災地に派遣すると決めたことをめぐっても、「喜んで現地に行く。だが、何の計画もなしにとにかく行けというのは知事の選挙運動だ」(中信の現地機関職員)と強い反発が出た。田中氏が「理念を共有してくれている」と強調したのとは裏腹に、県職員との「距離感」は覆いようがなかった。

 行政と住民が直接つながること、本音で語ることに価値を置き、その実現を目指した田中氏。その理念に再度目を向けた上で、現実の県政運営で何が欠けていたのか―。田中県政をきちんと検証し直すことが、今後の県政を前に進めることになる。


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