「現場主義と直接対話で、借金やコンクリートの残骸(ざんがい)を残さず、福祉や教育の充実で人が人らしく生きる県政を、選挙戦を通じ、訴えられたことをうれしく思う」。田中康夫さんは6日午後10時半、松本市内のホールに姿を見せ、やや疲れた様子であいさつを始めた。
日焼けした顔にグレーの縦じまのスーツ姿の田中さんは、落ち着いた声で淡々とあいさつを続けたが、時折、視線を下に向けた。最後まで、敗因には触れなかった。
知事として、選挙戦の前半を災害復旧の公務に費やした田中さん。「1点だけ、心残りとすれば」と言うと、「社会福祉、地方を切り捨ててきた日本の政治の中で、対極に位置する本県がさらにいかなる選択をすべきか。短い選挙戦で位置付けられれば、日本の未来にとって意義深い選挙だった」と、悔しさをにじませた。
田中さんは「脱ダム」宣言をきっかけに議会と対立、不信任決議を受けたが、失職して臨んだ2002年9月の出直し知事選で82万票余の圧倒的な支持を受けた。自ら地域に出掛けてひざ詰めで話し合う「車座集会」や、県政課題を公募メンバーで考える手法は、県政を県民に身近にして、自治の芽を育てた。
しかし、2期目の途中から支持者たちが離れていった。
前回田中さんを支持した松本市内のある自営業男性(42)の姿は今回、選挙事務所になかった。男性は「多くは共感できる改革だった」と言うが「多くの支持を得ても、いつも県議らと対立ばかりしている姿が目につくようになった。それが嫌になった」と話した。
県教委が進める県立高校再編問題。田中さんは7月28日、統廃合に反対の立場の保護者や同窓会、教員ら十数人と、自らの選挙事務所で懇談した。出席した中信地方の高校教諭は「真っすぐに答えていない」と感じた。
高校教諭は、車座集会など田中さんの対話姿勢を評価してきた。ただ、最近は「頭の中に結論があって、対話をしても結論を変えない」と思うようになったと言った。
支持者たちが、身近な所で集まり、草の根のネットワークで支えてきた田中さんの選挙。前回は、選挙事務所に「手伝いたい」「ポスターはないか」と次々に人が訪れ、県外からスタッフに加わる人もいたが、今回は訪ねる人も少なかった。
◇
あいさつの最後に、田中さんは「あす、最終結果を踏まえての会見をし、質問を受け付ける」と報道陣からの質問は受け付けず、10分ほどで切り上げた。「長野県を良くしてくれてありがとう」と女性支持者から大きな声がかかったが、支持者に声を掛けることなく会場から立ち去った。
【写真説明】落選し、集まった支持者を前にあいさつする田中康夫さん=6日午後10時33分、松本市内