信濃毎日新聞ニュース特集

大雨被害

岡谷の避難勧告解除 「でも帰れない」家壊れ土砂残り
2006年8月 2日(10:02)
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 帰りたい、でも帰れない―。土石流により8人が死亡した岡谷市で1日、最後に残った湊地区の114世帯への避難勧告が解除されたが、引き続き市内2カ所の避難所に23世帯61人がとどまった。ガスや電気の復旧を待つ世帯もあるが、自宅が壊れたり室内に大量の土砂が残るなど被害が大きい世帯も少なくない。避難所生活の長期化も危惧(きぐ)されている。
 「再生できるならば再生したい。時間はかかっても」。同市湊3の会社員小口富久さん(50)は避難勧告が解除された1日朝、自宅に戻り、押し寄せた土砂などの勢いで割れた窓ガラスを黙々と段ボール箱に集めた。1階の床には厚さ30センチほどの泥が積もっている。
 勤務する会社が、上伊那郡辰野町の社宅への入居を勧めてくれた。それでも「この土砂を何とかしたい」と、自宅に通って片付けをするため避難した湊小学校での生活を当面続けることを選んだ。
 市によると、今回の土石流災害で全壊・半壊した家屋は35戸(7月20日現在)。市は、空いている市営・県営の住宅33戸を被災住民に提供しようと入居希望者の募集を続けているが、1日現在で引っ越したのは7世帯にとどまる。残りの世帯の多くが、親せき宅に身を寄せたり、自宅の片付けのため近くのアパートなどに引っ越した―と市はみている。
 自宅がほぼ全壊した同市湊3の小口三樹雄さん(58)は、近くにある父の家に一家で移った。「勧告解除はうれしいが、これからが大変。家の建て替えをどうするか。同じ場所に建てるのは怖い気もする」と不安をのぞかせた。
 死者1人を出した同市川岸志平地区。避難所になっている岡谷西部中学は、同地区への避難勧告解除から11日目を迎えた1日も、2世帯9人の家代わりになっている。
 自営業高林宏至さん(63)は、土砂で室内が埋まった自宅の片付けや修理のため、朝から日没まで自宅に通う。一時は市営住宅に移ることも考えたが、「同じ場所に住みたい。あきらめられない」。ただ、重い泥との格闘に、疲れは限界にきている。
【写真説明】土石流により大きな被害を受けた自宅で後片付けをする小口富久さん。しばらく避難所暮らしが続く=1日午前8時40分、岡谷市湊


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