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2011年1月 5日〔事業局〕
「没後100年 菱田春草展」を9月10日から10月16日まで、長野市箱清水の県信濃美術館で開きます。信濃毎日新聞社と県信濃美術館の主催です。
日本画家の菱田春草は1874(明治7)年に現在の飯田市で生まれました。近代の日本美術史に大きな足跡を残しましたが、1911年に36歳で亡くなりました。
今年は、春草の没後100年にあたります。明治時代に日本画の新たな技法を探るべく奔走した春草の画業を、はっきりとした輪郭を持たない「朦朧(もうろう)体」と呼ばれた作品を中心にたどります。
当時、日本画に西洋の技法を取り入れて、近代化を試みようとする人が現れました。それが春草であり、横山大観でした。東京美術学校(現東京芸大)の設立に尽力した岡倉天心は、春草と大観に「空気を描く方法はないか」と問いました。彼らは日本画の特徴である墨線を用いず、色彩の濃淡を使って、それまで描かれることのなかった光や空気感を表現しようとしました。
伝統的な日本画とは趣を異にする作品は当時、はっきりしないという意味で朦朧体と呼ばれ、理解されにくいものでした。春草は新しい日本画を模索していく中で、朦朧体から琳派の影響を受けた装飾的な表現方法へと発展させていきました。
【写真説明】菱田春草が描いた「羅浮仙」