信濃毎日新聞ニュース特集

トリノ冬季パラリンピック

競技への思いさらに 56歳 スレッジホッケー松井選手
2006年3月20日掲載

 【トリノ19日=井上典子】広場を取り囲むように建つ歴史ある建物がライトアップされ、辺りを市民がぎっしりと埋める中で式典が進んだ。冬季史上最多の39カ国から477選手が出場したトリノ冬季パラリンピックは、19日夜(日本時間20日未明)の閉会式で、10日間にわたる熱戦の幕を下ろした。
<「好きだからやるだけ」>
 50歳になる前、禁酒した。56歳になり、今大会の結果によっては解禁するつもりだったが、続けることにした。これからもスポーツに挑戦すると決めたからだ。今大会の日本選手最年長で、アイススレッジホッケーの松井順一選手(長野サンダーバーズ・松本市)が新たに目指すのは車いすカーリング。スポーツ人生はまだまだ続く。
 松井選手は19歳の時、交通事故で下半身が不自由に。リハビリ作業所利用者でつくるチームで車いすバスケットボールを始めたのを皮切りに、車いすテニス、チェアスキーにも取り組んだ。
 茅野市内で介護福祉用品の設計、販売会社を経営しながらスポーツ用具を作り、国内外に紹介している。「仲間が増えれば楽しいから」。自分がプレーするだけでなく、大会開催や普及にも携わり、日本の障害者スポーツを引っ張ってきた。
 他選手らと松本市内などで車いすテニスの「ジャパン・カップ」を始め、アジアやロシアから選手を招いた。タイで車いすテニスが行われるようになったのは、同カップが大きなきっかけだ。
 スレッジホッケーでは日本が初出場した1998年長野大会の時から代表。同大会後、「この競技を韓国に紹介する」と選手を日本に招待。韓国チームはトリノ大会の予選に出るまでになった。
 長野大会以前はあまり知られていなかった障害者の冬季スポーツが注目を集めるようになった。「ぼくらは何も変わらない。好きだからやるだけ」と素っ気ない。けれども「周りは変わった。運動会としてしか見ていなかったのを、スポーツと見るようになった」。
 トリノでは試合出場機会は少なかった。今後、日本代表としてプレーすることは考えていないが、最終戦を終えた17日夜、禁酒継続と車いすカーリングへの挑戦とともに日本のスレッジホッケー強化策を口にした。
 自分が競技に誘った上原大祐選手(24)=長野サンダーバーズ・北佐久郡軽井沢町=は、パラリンピック初出場ながら日本チームの得点源として活躍。「大祐は4年でここまできた。第2、第3の大祐を見つければ4年後のカナダ・バンクーバー大会に間に合う」。スポーツへの熱い思いはトリノが終わっても変わらない。


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