信濃毎日新聞ニュース特集

トリノ冬季パラリンピック

トリノに競う(中) 意識の変化 枠を乗り越え指導
2006年3月 2日掲載

 「『障害があるからできない』なんて、言い訳になってしまう」「自分たちがやってきたのは、ホッケーではなかった」。アイススレッジホッケーの代表選手たちは、4年前に中北浩仁監督が就任してから、チームのレベル、個人個人の意識が大きく変わったことを認める。
 中北監督は、北米プロリーグを目指して中学卒業と同時に渡米。学生時代はNCAA(全米大学体育協会)でプレーした経験がある。アイススレッジホッケーを初めて見たのは、監督就任を打診されてからだ。
 「選手には障害があるからとか、スレッジの動かし方が難しいからとか考えてしまうと、そこで教えることが止まってしまう」。中北監督はあくまでアイスホッケーの動き、戦略を指導してきた。練習中は常にリンクに立ち、「自分ならこうする」と一人一人の動きをチェックし、はっきり伝える。
 最初のうち、戸惑う選手が少なくなかった。「自分で得点することが最高の喜びだった」というFW吉川守(長野サンダーバーズ・飯田市)は、「自分のことだけを考えている」と言われた。ほかの選手を動かす重要性をたたき込まれた。「それ以前は攻め上がるだけ。今はプレーの幅が広がり、チームプレーが分かってきた」と話す。
 2002年米ソルトレークシティー大会後、コーチ陣を入れ替えたのはホッケーだけではない。
 アルペンスキーの松井貞彦監督は、全日本スキー連盟(SAJ)で常務理事などを務めた経験がある。伴一彦チーフコーチ(上田市)は5年前まで長野県スキー連盟の東信ブロック主任コーチで、若い選手を指導してきた。SAJはほかに、古井正貴アシスタントコーチ(須坂市)ら3人を派遣している。
 伴コーチは当初、指導を求める選手たちに「立位ならともかく、チェアスキーのことは分からない」と答えた。だが、実際にチェアスキーの滑りを見て、「同じスキーだ」と吹っ切れた。
 全日本チームは昨年10月に行ったオーストリア合宿の際、健常者のワールドカップ(W杯)を観戦。1998年長野五輪で2種目を制したヘルマン・マイヤー(オーストリア)らのレースを、間近に見た。
 「世界のトップ選手の技術をパラリンピック選手に生かすためだった」と松井監督。トリノで3大会連続のメダル獲得に期待がかかる女子座位の大日方邦子(NHK・東京)は、この時に見た「急斜面の滑り」を、レースで試している。
 ノルディックスキーも、バイアスロンの射撃コーチに、日本ライフル射撃協会の香西俊輔理事が加わっている。障害者冬季スポーツの世界のレベルは4年前に比べ、飛躍的に上昇。日本の対抗策は「障害者スポーツ」の枠を外した各競技団体の取り組みだ。


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